魏延伝

章  決意


「藍月・・・」

その日、文長さまの様子がおかしかった事には気付いていた。何となく落ち着きが無い。

「どうかなさいましたか?」

「・・我・・・我・・・」

何か思い悩んでいるような感じ。文長さまがこんなにも小さく見えるなんて、初めてのことだ。なんだか胸の奥がざわざわする。少し怖い。

すっ・・・と仮面を外す文長さま。


「すまない。藍月。私は・・・明日、死ぬ」


聞き取れなかった。いや、聞きたくなかった。

「すまない・・」
何を・・・言っているのです?

「・・どう・・して?」

心臓が高鳴る。

文長さまが死ぬ?明日?何故?どうして?嘘であって欲しい。不安が怒涛のように流れ込んでくる。


「この国はもう終わる。いや、蜀だけではない。魏も、呉も終わりを迎える」

戦争が終わるという事だろうか。良い事だ。それならば文長さまと静かに暮らす事ができる。しかし、それは文長さまの死と関係ないはずだ。

「だが・・・な。私のような者がいれば、戦は長引くだけなのだ。今は姜維殿が奮戦しておられるが、魏・蜀ともに犠牲者が多数出ている。諸葛亮殿のような静かな戦ではない」


納得できない。できるはずが無い。どうして文長さまの存在が他人の犠牲に関係あるの?関係ないわ。

「だからと言って、何も文長さまが死を選ぶ必要は何処にもありませんわ」

「駄目なのだよ、藍月。私はこの仮面を被り、容赦無く敵兵を斬り殺してきた。その罪は戦が終わろうとも消えない。それにね、私は生きているだけで、他人に闘争心を生み出させてしまう。私が生きている限り、戦は烈しくなる。自分で言うのもなんだがね、私は影響力が強い。そして私が戦に出れば多くの敵兵が死ぬ。罪を重ねるだけなのだ」
他人の闘争心など知ったことではない。戦いたい者が勝手に戦えばいいのだ。文長さまは関係ない。

「戦に出なければいいのです。私と静かに暮らす事は出来ないのですか?私は・・・私は文長さまと静かに暮らしたいの」


戦争が終わるのを待つ必要も無い。今すぐにでも二人でどこか遠くへ行けば・・・。

文長さまは仮面で自分を隠し、偽り、戦場では鬼神の如しである。

でも、違うのだ。

この人は優しい。優しすぎるゆえに、自分を偽らなければ戦になど出られない。負傷する時は決まって誰かを庇った時だ。それはこの人の本来の優しさ。仮面で隠し切れなかった優しさ。
仮面を捨て、味方を見捨てて逃げ出す事も出来ない。

自軍と敵軍の命をその両手に抱え、いつも苦悩する。そしてその苦悩を誰にも見せず、独りで全部背負ってきた。

私なんかが想像もつかないほどの罪を背負い、苦しみぬいてきた。どうして全てを独りで抱え込むの?少しでも文長さまの支えになってあげたかった。


なのに・・・。

ぽろぽろと涙が溢れてくる。


「すまない。藍月。・・・お前の涙は二度と見たくなかった・・・」

うなだれる文長さま。なんとかこの人を引き止めたい。それは私の欲望であり、わがままであり。それゆえ、制御など出来ない。何でも良い。この人を説得したい。

「だったら・・・劉備様の夢はどうなさるのです。劉備様を慕って蜀に降って、劉備様を裏切るような事になって・・・よいのですか?」

「結果としてはそうなるかもしれない。いや、結果だけではない。私は謀反を起こし、馬岱殿に斬られるつもりだ。蜀を裏切った将として名を残すのだ。そして戦は静かに幕を閉じる。終止符を打つのは魏・呉・蜀のどれでもない。だが、そうして戦が終われば、いずれまた漢室復興の兆しは現れる。今のまま戦を続けてしまうと劉備殿の夢は完全に潰えてしまうのだ」

「そんな・・・」

いやだ。自分で言っておいて何だが、漢室復興などどうでも良い。この人さえ生きていてくれるのなら。

「私・・知ってます。諸葛亮様がおっしゃっていたこと。文長さまはいずれ蜀を裏切ると。そんな言葉どおりに動くなんて、あまりにもおろかです。ますますあなたが悪者になってしまいます」

「・・・。それは私も知っていた」

あぁ・・。この人は自分が疑われていた事を知りながら、それでもこの国のため、いや、この大陸のために死のうと言うのか。あまりにも誇り高い戦士だった。ならば、尚更この人に生きておいて欲しい。

「でもね、藍月。諸葛亮殿を悪く言ってはいけない。私が今まで生きてこれたのは、あの方のお陰なのだ」

私は諸葛亮様が嫌いだった。何かにつけて文長さまの進言を退け、反骨の相だの、いつか裏切るだの・・。どうしてあなたは平気なの?どうしてあなたは他人を憎まないの?

「あの方が居なければ、私は戦場の中心に幾度と無く出て、今まで以上の罪を重ねていただろう。そして私は自我を失い、狂戦士となり、今までとは比べ物にならないくらいの人間を斬り殺していただろう。あの方にはそれが判っていたのだ。私の憎まれ役を買いながら、私の抑止剤として、私を心配してくれた」

詭弁にしか聞こえない。

「でも・・・でも、そん・・な事」

声が上ずっている。

「それに、私は諸葛亮殿を間接的に殺してしまった」

延命祈祷の事である。祈祷失敗の原因を作ってしまった文長さま。どうしようもなかった事だが、それもまたこの人の十字架になっている。

哀しげに、ふと窓の外を眺める。とても静かな夜だった。ただ、私にはその静寂こそが絶望への入り口に感じられた。

「私はね、藍月」

「はい・・」

「自分自身にけじめをつけたいのだ。お前と2人で幸せな生活ができるかもしれない。でもね、私は自分の罪を忘れる事は出来ない。これから先、私はお前にまで不幸を撒き散らすかもしれない」

「そんなの、逃げているだけですわ。私と一緒に生き抜いてください。お願いです」


突然、ぎゅっと抱きしめられた。

文長さまの体は震えていた。

「私の心臓の音が聞こえるか?」


とくん。とくん。


優しい鼓動。それは文長さまが生きている証。

文長さまの胸の中で、この人の哀しみ、辛さ、強さが伝わってくる。今、私と文長さまの心は重なり、私はそこに悦びさえ感じている。

でも、これが最後なのかと思うと、やりきれない。



「この鼓動は、明日、消える。私の肉体は滅ぶ。しかし・・・」

今度は私の胸に耳を当てる文長さま。

思わずぎゅっと抱きしめた。

「私の魂はお前に引き継がれる」

震える文長さまの目に、ちらりと涙が見えた。

「それに・・。お前の中に居る、お前と私の子にもね」


外見では判りにくいが、私は文長さまの子を身ごもっていた。戦の邪魔になるかもしれないと、まだ秘密にしておくつもりだったが文長さまは気付いていた。

ちゃんと私のことを見ていてくれた。

「本当に、私は卑怯だ。お前と、子供まで見捨てて独りで往こうと言うのだから」

私の肩をガシッとつかみ、涙顔の私と文長さまは暫し見詰め合った。

「こんな夫、父親を許しておくれ。すまない。すまない。すまない」

「もう・・やめてください・・・」

「私は・・・すまない・・すまない・・・」

「あなたのお気持ちは分りました・・。私はこの子を立派に育てて見せます。だから・・もうご自分を責めないで。謝らないで」

私はずっと「すまない」と言い続ける文長さまの口を、自分の唇でふさいだ。

窒息するかと思うほど長い口付けをした。

つづく。







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