魏延伝

章  秘密。


魏延さまにお仕えして、ちょうど季節が一回りした。2度目の春。魏延さまは相変わらず。私も相変わらず。

戦争はまだまだ終わりそうに無く、魏延さまもたびたび戦場に出かける。


(もう、逢えないんじゃないか知ら)

そんな思いが頭をよぎる事も幾度となくあった。なんと言っても、戦である。そこは殺し合いの場なのだ。できるだけ考えないようにはしているが、時々脳裏をよぎる不安。


1年経っても魏延さまとは会話など交わせないし、迷惑をかけることもしばしばあった。魏延さまにとって、私など如何でも良い存在だろう。代わりは他にいくらでもいる。

でも。

魏延さまと離れるのが怖かった。

ただ、傍に居たかった。


『好き』


私は恋をしているのだろうか?正直、自分ではよく判らなかった。

優蘭は私が魏延さまに恋していると言うけれど。

そうなのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。

魏延さまは矢っ張り不気味だし、ちょっと怖い。魏延さまのお気持ちも全くわからない。例えば、魏延さまの好物すら、私は知らない。

こんな私が、果たして魏延さまに『恋』していると言えるのだろうか?

胸の奥がもやもやする。

魏延さまの事をもっと知りたい。私のことをもっと知って欲しい。でも、それは未だ叶わない。叶えたい自分と、このままで良いという自分。私の中で二人の藍月がせめぎ合っている。期待と不安。


どうしたらいいの?

自分の気持ちもわからないなんて。


桜は散り続けていた。






戦場から帰ってきた魏延さま。その日はいつもと違っていた。


「魏延さま!!」


腕や脚に傷を負っている。いつも魏延さまは無傷で帰ってきていたから、私もそれが当たり前と感じていた。兵たちもそうだろう。

付き添っていた兵士によると、流れ矢が仮面の額部分に直撃し、意識が一瞬飛んだところを数人に斬られてしまったそうだ。

魏延さまほどの猛将になると反射神経で敵の攻撃にも反応できる筈だが、隙を突かれてしまい全てを避ける事は出来なかったと言う。ただ、その兵はこうも言った。魏延様は一人の兵卒を庇い負傷したのではないか、と。
この人はまた・・・また、誰かのために怪我をしている。私のときと同じ。


「何故、治療をお受けにならないのです!」


見たところ、何の治療も受けずに屋敷に帰ってきている。

「構ウナ・・・」

そう言って魏延さまは付き添いの兵士を帰し、ずんずんと自分の部屋に入っていく。


「お待ちください!」


呼び止めるが、私の言葉などその耳には届かなかった。

戸を閉められてしまったが、私はすぐに戸を叩き「失礼します」と一言言って中に入っていった。勿論、誉められた行為ではない。だが、今はそんな場合ではなかった。


「魏延さま、お願いで御座います。治療をお受けください」

「邪魔ダ・・・」

低い声で拒絶され、一瞬怯む。怖かった。が、私は続ける。

「駄目です。どうしてもと仰るのなら、私が治療いたします」


確かに、命に別状あるほどの怪我ではないだろう。しかし、放っておけなかった。なによりも、魏延さまが傷を負っているという事が私を不安にさせる。

まずは額を見た方が良いだろう。腕、脚の出血は既に止まりかけている。


「さぁ、魏延さま、仮面をお取りになってください」

「・・何故ダ・・・・・」

「何を言っているのですか。すぐに怪我を見ないと・・」


ふと、思い出す。私はまだ、魏延さまの素顔を見たことが無かった。何ともいえない緊張感が全身を走った。
1年である。1年もの間、この人の素顔を見たことがない。いや、素顔だけではない、そのお心も知らない。私は何も知らないのだ。

「・・・何故・・我ニ関ワル・・・・」

「好きな人が怪我をしているのに、放ってはおけません!」

緊張していた所へ不意に問い掛けられ、無意識に声を出していた。


私は・・・魏延さまが・・・・好き。

自分の言葉によって、やっと確信できた。

この思い。心の中のもやもや。


「好キ・・??何ダ・・其是ハ・・・我・・・我・・」


魏延さまはその意味が理解できなかったようだ。この人は「好き」の意味を知らないのだろう。その感情など、知るはずも無かった。わけが解らずにうつむく魏延さまが少し可愛らしかった。

魏延さまがこんなにも愛しいなんて。「好き」という感情がどんどん膨れ上がる。今まで知らなかったモノ。それは爆発にも近い想いだった。

なんだか急に恥ずかしくなってきた。

「あ・・あの・・・」

そ・・そうだわ・・今は治療が先決。

「申し訳ありません。失礼します」

私は魏延さまの仮面を剥ぎ取った。案外、あっさりと外れてしまった。


額にはあざが出来ていた。しかし、この仮面のお陰で大した事は無さそうだ。

この程度なら数日もすればきれいに消えるだろう。

良かった。


安心した所で、魏延さまの素顔が目に入る。

驚いた。

この方が・・・戦場を野獣のように駆け回る魏延さまなのか・・・

いびつな鎧、不気味な仮面、獣のような声。そんな魏延さまの素顔はとてもとても美しかった。

正直、別人ではないか?とも思えた程である。

薄暗い部屋の中に月の光が差し込む。

そこに佇む魏延さまは、幻想的ですらあった。

普段は「畏怖」によって他人を遠ざける魏延さま。でも、今は違う。そこに居る人は余りにも繊細で、触れてはいけないかのような存在だった。外見だけでなく、雰囲気も全く違う。私なんかがこの人のお傍に居て良いのか知ら?そう思わせるほど、今の魏延さまは気高く、高貴に見える。


いけない。治療を続けないと。

「失礼します」

そう言いながら私は魏延さまの腕を取り、消毒を始める。1年前、私の命を救って下さった腕。今でもその暖かさは忘れない。逞しい筋肉。人を傷つけること、傷つけられる事。今までに数え切れない程あっただろう。そして、これからもそれは続く。貴方はどうして、そこまでして戦場に出るの?

本当は、戦なんて終わって欲しい。傷ついた魏延さまなんて見たくない。人を傷つける魏延さまも見たくない。それは私のわがままだけど。でも、こんな世の中じゃなかったら私は魏延さまに出会うことも、好きになることも、こうして肌に触れることも無かった。
都合のいい事を言っているかもしれない。でも、この人がどうしようもないくらいに好きなのだ。ずっとお傍に居たい。


「あっ」


うっかり包帯を落としてしまった。

「も、申し訳御座いませんっ」

自分の不甲斐なさに顔を上げることが出来なかった。また失敗してしまった。恥ずかしくて頬が紅潮するのが自分でも分かる。

私ってどうしてこうなの・・・馬鹿馬鹿。


「藍月」


誰かに呼ばれ、反射的に振り向いた。

誰も居ない。空耳?


「・・・藍月?」


背後ではなかった。その声はすぐそばから聞こえていた。


「どうした。顔が赤いぞ。大丈夫なのか?」


魏延さまの口が動いたのが見えた。この深く、優しい声が魏延さま?耳にしっとりと馴染み、それでいて頼もしい声。声だけではなく、話し方までがさっきまでと違う。あの仮面は素顔を隠すだけではなかった。魏延さまの全てを隠していたのではないだろうか?

素敵な声と、初めて名を呼ばれた事に動揺して更に顔が赤くなっていくのが分る。


「あ・・あぁっ・・あのっ・・私・・・」

声が震えて上手く出ない。

落ち着いて。落ち着くのよ、藍月。

「あの・・あのっ・・・」


「お前は私のことが『好き』なのか?」


ひいっ。この人は突然何を言い出すのだろう。確かに、私は魏延さまが大好きだ。しかし、突然に改めて聞かれると恥ずかしい。さっきは勢いで好きだなんていってしまったけど、仮面をつけている魏延さまはその意味が解らず、少しほっとしていたのも事実だ。
でも、今の魏延さまは少し違う。私のことに興味を抱かれている。

「あ・・あの・・私は・・」

「さっき、そんな事を言っていなかったか?」


考える事なんて出来なかった。

「あの・・・はい・・。その・・・私は、魏延さまが好きです」


「そう・・か・・。私には『好き』というモノがよく解らないのだが・・・それは良いものなのか?」

あぁ・・・やはり、この人は『好き』というものを知らなかった。仮面を外してもそれは同じ。勿論、私とて魏延さまに対する自分の気持ちを知ったのはついさっきである。
魏延さまに『好き』というものを理解して欲しかった。そして・・・そして、私のことを好きになって欲しかった。

「はい・・。こう・・心が温かくなって・・・その・・・幸せな感じが・・・」

説明などできるわけも無い。シドロモドロにわけの解らない事を口走ってしまった。
体が熱い。いつか、この人に『好き』という気持ちを理解させる事ができるだろうか?それも、この私が。
それは『刷り込み』みたいで、少し卑怯なのかもしれない。なにせ、魏延さまに近づける(近づく)女は数少ない。魏延さまが恋愛感情を知ったとき、近くにいる女は私だけではないのか?でも、そんな理屈では私の想いは曲がらなかった。むしろ、都合が良い。


「ふむ・・・そうなのか。よくは解らぬが・・・お前に『好き』といわれて悪い気はしなかったな。お前は人に『好き』といわれると嬉しいものなのか?」


魏延さまが『好き』というものに興味を感じている。それに、私の言葉を受け止めていてくれる。少なくとも、不快に思っていないと言うのは私の心を躍らせた。
恋愛感情としての『好き』は言われた事が無い。でも。

「解りません。でも、きっと嬉しいと思います」


「そうか・・・では、今からお前を『好き』になっても良いか?」


信じられなかった。これは・・・少しずれているが・・・。

魏延さまが私のことを『好き』と。空耳などではない。本人は『好き』というものをどれ程解っているか、判らない。でも、言葉だけでも充分だった。
天へと舞い上がる気持ちだった。全身が熱くなる。あまりの興奮を抑えようと、黙ってうつむいてしまった。


「すまない・・・困らせるつもりは無いのだが・・・」

「いえ・・・違うんです・・・私・・・」

突然、涙が溢れた。

「藍月・・そんなに嫌なのか?」

「ちが・・うれ・・嬉しい。私・・・」

またしても上手く言葉が出ない。今まで生きてきた中で、これほど嬉しい事があっただろうか?まだ両想いになったわけでもないのに、こんなに喜ぶ私は馬鹿だろうか?

「どうして涙を流す?私は戦場で涙を流しながら命乞いをする者を何人も見てきた。戦友の死に涙を流す者も見てきた。涙とはそういう時に流すものではないのか?」

「いいえ・・・違うのですよ、魏延さま・・・。人は・・悲しい・・・とき、嬉し・・い時、感極まった時に涙を流すの・・です。わた・・私のこの涙は、嬉しさの余り流れるの・・です」

「そういうものなのか。涙は出ないが、私も嬉しいぞ。これも『好き』というものなのか?」


私はその瞬間、治療の事も忘れて魏延さまに抱きつき、わんわんと泣きじゃくった。

自分でも、もう、何で泣いているのか分らないほどに。

魏延さまは少し困っていたみたいだけど、そっと私の髪を撫でてくれた。

つづく。







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