二度目の冬がやってきた。絵描きはコタツから半身を出している黒猫をサラサラとスケッチしている。固めの鉛筆で何度も何度も重ね描きしたり、あるいは木炭を使う事もあった。
絵描きは黒猫ばかりを描いた。手や顔、そしてそのスケッチブックはいつも真っ黒だった。

「よーし、ホーリーナイト。動くなよー・・・」

黒き幸、HOLY NIGHT

黒猫の名前だった。生まれて初めての名前。初めての───友達。
信じてもいいのか?一年間、何度も思った。また裏切られるのではないのか?半端な優しさは何よりも残酷なことを知っているのだ。
それなのに黒猫はまた一人の人間に身を寄せている。

「あっ、こら。動くなって!」
黒猫は甘えた声を出して絵描きに擦り寄った。温かい。今はこれが現実だ。

闇の中の孤独な自分が遠のいていく。寂しさに押しつぶされて小さく丸まっている一匹の仔猫。絵描きはその寂しさと暗闇を無理矢理になぎ払い、黒猫を開放した。

幸せ。

絵描きの膝の上はなんとも心地良い。寒さに震えていたあの頃は想像も出来なかった安らぎ。ずっとこんな日々が続けば良い。今度こそ。今度こそ。



が、その安らぎはある日突然、終止符を打たれる。




いつものように黒猫の絵を描いている絵描き。すっくとトイレに立とうとした所で突然胸を抑え、激しい咳をしながら倒れこんだ。ただ事ではないことにはすぐに気付いた。黒猫が近付くと、絵描きの手は赤で染められていた。炭で黒ずんだ手の中で異質の存在であった。

「あぁ・・畜生・・・・もうお終いかよぉ」

絵描きが力無く呟く。黒猫は前脚を差し伸べるが、絵描きの目は既に虚ろになっていた。
が、その目はある一点を見上げている。黒猫が振り向く。白い二段の引き出しの上にちょこんと載せられている写真立ての中には、青いワンピースの眩しい笑顔があった。絵描きが故郷に残してきた恋人だ。

絵描きは何度か恋人の話を黒猫に聞かせた。はじめて出会った時のこと。彼女に惹かれている自分に気付いて思い悩んだ事。その気持ちを打ち明けた時のこと。その瞬間の彼女の笑顔。喧嘩した時のこと。楽しかった日々のこと。彼女を一人残して上京した日のこと。

絵描きは引き出しから一枚の無愛想な便箋を取り出した。身を翻してコタツの上に散乱している鉛筆を一本掴み、何事か書き始める。絵描きが咳き込むたびに両手は血にまみれ、便箋は汚れていった。
「・・ホーリーナイト。はし・・って・・・・」
名付親は更に咳き込んだ。息をするのも苦しそうで、黒猫はどうしたら良いのか皆目解らない。ただ、不安だった。未知の不安だった。見知らぬ世界へと引きずり落とされる不安。


───孤独───


力無く鳴き声を上げる。知っているはずの不安。慣れていたはずの過去。望んでいたはずの孤独。知らない孤独。知りたくはない孤独。

「走って・・・こいつ・・を届け・・てくれ・・」
名付親は便箋をぐっと握り締めて黒猫に差し出した。
黒猫はためらった。これを受け取る事は、彼との別れになるのではないのか。暗い、音のないあの日々に戻れというのか。俺を闇の中から掬い、孤独から救い、そしてまた突き放すのか。

黒猫と絵描きの出会いは丁度一年前の今日だった。短い夢だった。

絵描きは黒猫の絵ばかりを描いた。不吉な黒猫の絵など売れるはずもなく、絵描きは貧しかった。黒猫の世話をする分、前以上に貧しい生活だったのではなかろうか。
今日も外ではきらびやかな装飾が施された大通りを陽気な声がデコレーションしている。絵描きは無理して小さなケーキを買ってきて、写真を眺めながら「夜、一緒に食べような」と黒猫に呟いた。

「僕等よく似てる」

違う。あんたは違う。俺なんかに構わなければもっとマシな暮らしが出来たはずだ。生きる方法なんて探せばいくらでもあったはずだ。
それでもあんたは俺だけ描いた。それ故あんたは冷たくなった。

絵描きが握り締めた手紙を口に咥えると、その手はゆっくりと落ちた。
黒猫の目に、以前のようなギラつきが戻った。だが、あの頃の、孤独の中で溺れていた頃の自分ではない。

部屋の入り口で振り返った。狭く薄暗い部屋には黒猫が多数いた。そしてその中心に一人の人間が横たわっている。その顔はどんな人間たちよりも確かに「生きた」顔だった。
手紙は確かに受け取った。
常に半開きにしてある玄関を勢いよく飛び出した。


続く。


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