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舗装された山道に、降り始めた雪が着地しては消えていった。舗装はされていても車はほとんど通ってはおらず、ガードレールもひしゃげる事なく立っている。この道を通学路としている子供たちは大手を振って歩く事が出来た。大雪さえ降らなければそんなに不便な所ではない。
濡れ始めた山道を、黒猫はほとんど休みなく走り続けていた。今は無き親友との約束をその口にくわえて。
「見ろよ、悪魔の使者だ」
久しぶりに聞いた。そしてお約束どおり、石ころが飛んでくる。子供はまるでシューティングゲームでも楽しむかのように、黒猫目掛けて小石を投げる。だが、黒猫の身体は鈍っておらず、いとも容易くかわしてみせた。
石が当たらないとなると「悪魔」だの、「不吉」だの、言葉で攻撃してきた。しかしそれも黒猫には通用しなかった。アイツの為なら、悪魔にだってなってやる。だが、俺は俺だ。たとえどんな容姿をしてようと、どんな攻撃を受けようとも黒猫は怯まない。何とでも呼べば良い。俺には消えない名前がある。
ホーリーナイト
アイツは俺を「聖なる夜」と呼んでくれた。一年前のあの日、俺は生まれ変わったのだ。闇へ、無へと向かう俺を引っつかんで、優しさも温もりも、何もかも全部詰め込んで俺の名を呼んでくれた。
何の為に生きているのかも分からず、忌み嫌われるだけの日々を送った俺に意味があるとするのなら、きっとこの日のために生まれてきたんだろう。だったら俺はアイツの為に、そして俺の為に何処までも走る。
薄暗いトンネルをひた走る。出口からはなんとも魅力的な光が見えており、きらめきはまるで誰かが手招きしているかのようにも見えた。既に太陽は沈んだが、人工の光が美しく輝いている。今まで煩わしいだけだった光が、今日は違うものに見えた。
息を切らせながらトンネルを抜けると銀色の世界が開けた。所々に派手に装飾を施された大きなモミの木が見えた。その中でも一際目を引く木の天辺には大きな星が飾られている。
彼は親友の故郷へと辿り着いたのだ。恋人の家はもう見えている。後たった数キロだ。
ぐっと雪を踏みしめ、走り出した。初めて踏んだ雪はやたらと冷たい上に、足が沈んで走りにくい。
前からきた一台のトラックを避けようとして雪に足を取られてしまい、斜面を転げ落ちた。斜面はそれほど急ではなく、雪や枯葉がクッションになったので大したダメージではない。むしろ、恋人の家まで直線的に進んだのでショートカットになった。
が、斜面の終わり、下の道路との間に1メートルほどの被覆があった。本来の猫ならばこんな物は何でも無いのだが、走りつづけて既に満身創痍の彼にとって、その段差は軽い物ではなかった。身体を打ち付けて倒れこむ。
全身に力を入れて立ち上がろうとした瞬間、全く異質の激痛が全身を襲った。
「雪の中に黒猫たぁ、ミスマッチだねぇ」
片手に棒切れを握った人間は黒猫を見下ろしてニヤついた。夜道で眼鏡が怪しく光った。
「てめぇみたいな猫畜生はおとなしく俺様に解剖されやがれ」
人間の中でも特に腐った種類のやつだ。第二撃が繰り出される。闇の中で慣らされた黒猫の目は力無き馬鹿の攻撃などすぐに見切り、棒切れは空を切って雪に埋まる。
「迷子の迷子の仔猫ちゃん〜あなたのおうちは何処です・・・かっ!」
3撃、4撃と身をかわす。こんな人間に構っている場合ではないのだが、相手の目には異様な執念が見て取れる。
「ちっ・・むかつくぜ・・・」
そう言うと人間は腰のポーチから小さな玩具を取り出した。
それをこちらに向けた瞬間、空気の破裂音が響いた。黒猫はその場にうずくまる。
エアガンだ。何故そんな物まで持ち歩いているのかは知らないが、とにかく危険な状態だった。
「へへ。俺様に逆らうからだよ。苦しんで死ね」
そうさ。結局の所、人間なんてそんなものだ。
死よりも、孤独よりも畏れていたものは「裏切り」
よく考えろ。
あの絵描きも最後の最後には俺でなく、恋人を取った。小さな猫一匹が人間の言うことを聞いて手紙を届けたりする方がどだい無理な話なのだ。
俺の絵を勝手にずっと描きつづけて、勝手に死んで、それが俺に何の関係があるというのだ?あいつが勝手にやったことじゃないか。あいつの気まぐれに付き合って命を危険にさらして。俺は何をやってる?
あんなに憎んだ人間のために。
あんなに俺を憎んだ人間のために。
孤独に沈んでいた俺には命の危機などなかった。人間なんかに関わったばっかりにこんな状況に陥っている。ずっと一人で居ればこんなことを考える必要などなかった。
一人で居れば寂しさを知る必要もなかった。
一人で居れば悲しさを知る必要もなかった。
幸せなんて知るんじゃなかった。
エアガンの銃声が響き、一つ、また一つ身体に激痛が走った。もう動けそうに無い。
死ぬのか。
この世で一番嫌いな生き物に弄り殺されるのもまた良いものか。華々しく散れるではないか。
意識が薄れていく。
エアガンを構える人間と目が合った。
何だこの目は?
腐りきった目だ。一点の光も無い。全てを諦めた目。最低な目。クズそのものではないか。生きる価値も無い。死ぬ価値も無い。
男の瞳に映った猫の眼は死んでいた。
これが・・・これが闇の中で孤独を気取り、強がって、逆らって、足掻きつづけた猫の最後なのか。なんと無様な事か。
やめろ。俺を見るな。
死んだ絵描きの生きた眼が脳裏にちらついた。
あいつは俺を信じてくれた。
あいつは俺を信じて、自分をさらけ出してくれた。
あいつは俺を信じて、自分の全てを俺に託してくれた。
あいつは俺を信じて、俺に信じることを教えてくれた。
俺は何をやってるんだ?
こんな所で。昔の自分以上に腐った目で。強がる事しかできぬ只の弱虫ではないか。あいつは俺のこんな眼を見たくて俺を拾ったんじゃないはずだ。
俺は孤独なんかじゃない。あいつは今も俺を見てるんだ。そうさ。俺はもう、一人なんかじゃない。闇に沈む過去はもう、ただの過去でしかない。
立て!
体がきしんだ。
それがどうした。
負けるものか!
俺は・・・俺は聖なる夜、ホーリーナイト。もう、迷わない。逃げない!
人間がホーリーナイトを掴もうと手を伸ばしてきた時、その腕を引っ掻きながらよじ登って顔面をがむしゃらに引っ掻いた。人間は情けない声を上げてうずくまった。ホーリーナイトはそれに一瞥をくれることもなく走り出した。
疲労と怪我で手足はちぎれそうに痛み、目はかすみ、呼吸は切れ切れになる。それでも尚、ホーリーナイトは走りつづけた。
負けるか。負けるものか。
何度も転んだ。瞼が重い。それ以上に手足が重い。それでも彼は止まらなかった。決して止まらなかった。
深い雪が行く手を阻む。だが、そんなものに屈したりはしない。
街行く人間が行く手を阻む。だが、どんな現実も彼を止めることなどできはしなかった。
一番大きなモミの木。見つけた。この家だ。
白く大きな玄関をガリガリと引っ掻いた。力がほとんど出ず、寄りかかるので精一杯だったが、それでも引っ掻きつづけた。
背後に人間の気配を感じた。
ここまでか。どうして誰も彼もが俺の邪魔をする?もう少しなんだ。もう少し・・・
振り向く。
視界全体が白っぽく霞む。
視界の中央が青く染められた。綺麗なその色には見覚えがあった。
絵描きの恋人はしゃがみこんでホーリーナイトに手を差し伸べ、血だらけの彼を抱き上げた。真っ青なワンピースにどす黒い色がうつる。ホーリーナイトは、ぐしゃぐしゃになりながらも決して口から離さなかった絵描きからの手紙を彼女に差し出した。
恋人が手紙を読み終える頃には黒猫はもう動かなかった。
だが、その黒猫はまるで生きているかのように凛々しく、雄々しく、気高く。
そして何よりも満足した安らかな寝顔だった。腕の中で眠る小さな猫をぎゅっと抱きしめた。小さな身体はとても温かかった。
「メリークリスマス」
その後、恋人は黒猫の名にアルファベットを一つ加えて庭に埋めてやった。
── 聖なる騎士 HOLY KNIGHT ここに眠る ──
元ネタ:BUMP OF CHIKEN 「K」
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