週末の大通り。
目的のある者。無い者。人間は誰も、その存在に気付こうとはしなかった。
流れ。
人々の濁流は不規則に大地を打ち鳴らし、喧騒は黒へと吸い込まれていく。ネオンは月明かりをかき消し、街は淡い人工の光に包まれていた。頂点の一番星が僅かながらにキラキラと光っている。浮かれきった雰囲気が闇を引き立てていった。

人間達をよそ目に、堂々たる風格でアスファルトを踏みしめる黒猫がいた。黒の毛には艶はなく、ワイルドにあちらこちらへとはねていた。鋭い目は黄金。水平にピンと張られた鍵尻尾は彼のプライドであるとともに、自己を保つためのバランス棒でもあった。

黒猫は人間達の社会の片隅でひっそりと、しかし、強く生きてきた。誰にも頼らず、精神を張り詰め、常にギリギリ崖っぷちで戦ってきた。緩やかな時など生きていく上で必要なく、また、許されない事である。そう思っていた。

その風貌・毛色から黒猫は人間に忌み嫌われる存在であった。人間は形式化されたまつりごとのように、黒猫に石を投げたり追い立てたりした。理由無き暴力は常に黒猫の存在そのものを脅かした。

馬鹿な生き物だ。

そう思ったが、黒猫は人間に立ち向かう事はしなかった。勝てる相手ではない事を知っていた。人間の手に落ちて死んだ猫の目を知っていた。自分はそうはならない。人間など・・いや、他の猫とも係わり合いにならない。それで良い。自分の存在こそが全てなのだ。
黒猫は自らの身体を闇へと溶かす。闇から闇へ。
黒の体に光は無用だ。光の届かぬ所へと身を隠すようになり、そしてそれが「普通」になっていった。
いつしか、他の存在というものを意識しなくなった。闇の中に独り。限りなき孤独に包まれていく。それは望んだ孤独だ。人間達の打ち鳴らす鈴の音はもう聞こえない。内へ。内へ。

孤独に慣れるのに、さほど時間はかからなかった。いや、最初から孤独だったのかもしれない。誰かを思いやったり、思いやられたりなどというのは考えただけで煩わしい。経験がなければ感情もない。知りたいとも思わなかった。
そばに他の野良猫がいても独り。人々の行き交う街中で独り。それで良い。

独り、闇の中。最も落ち着く瞬間である。できれば音も無い所を探したい。人間社会の片隅というのは食事に苦労する事は少ないが、暗闇と静寂の両立を求めるのはやや難しい。闇を探すのは大分手馴れてきてはいたが、静寂のありかは中々見付からなかった。光は遮れても音はなかなか遮る事ができない。人間とはどうしてこうも喧騒を好むのだろう?

主張だ。

生き物は皆、自己を主張することを知っている。そのときに発生するのが音なのだろう。なんと煩わしい事か。他人の主張が猫を隅へと追いやる。

闇と静寂は、社会からはみ出した人間達をも呼び込む。
虚ろな眼。卑屈な口元。主張することを忘れた者。
この人間達から見た黒猫はどう映っているのだろうか?ふと、そんな事を思う。

強く生きてきた。そう思っていた。だが、それはそう思っているだけなのかもしれない。黒猫から見た闇の住人達は、明らかに負け組であった。浮かれる人々と正反対に暗く沈んでいく者たち。自分はどうだろうか?自分もまた、彼らと同じ眼をしているのだろうか。彼らもまた、自分と同じ事を考えているのだろうか。笑顔の者を妬んでいるのだろうか?

今日はいつにもまして街は明るい。そして騒がしく、煩わしかった。

ちょっと太り気味の三毛が黒猫の前を横切った。一瞬、こちらを蔑むかのように一瞥してささっと駆けていく。その先には既に4匹の猫たちが集まり、食事を心待ちにしていた。
黒猫は少しだけ彼らを眺めて、さっと塀の上へとジャンプした。直後に背後で甘えた声が聞こえる。レストランのアルバイトの娘が猫たちに残飯をおすそ分けしているのだ。彼らはその付近を自分達の縄張りとし、食事を独占していた。人間に甘えるのも上手くなったようで、ある意味で飼い猫より良い暮らしが出来ている。人間の楽しげな声と猫たちの満足げな声がハミングと化す。

三毛猫たちは黒猫に対して敵意を剥き出しにする事はなかった。黒猫が食事の邪魔をしないことを知っていたからだ。黒猫は決して人間に近付こうとせず、ましてや餌をいただく事などなかった。望みすらせず、人間を拒絶した。猫を拒絶した。

三毛たちを背にし、塀を降りる。黒いゴミ袋を踏むと、何かが飛び出した。ネズミだ。
黒猫は身を引いた後、ネズミに飛びついて一瞬で捕らえた。野生の血が黒猫を狩りへと追い立てる。が、すぐに放してやった。何ともいえない虚しさ。

ふと、抱き上げられた。気配も無く、すっと抱き上げられた。
若い絵描きは黒猫に顔を近づけて言った。

「今晩は素敵なおチビさん。僕等よく似てる」

にこりと微笑む人間。見慣れない瞳の持ち主だった。しかし、その汚い身なりは他の者と同じだ。似てる?

違う。俺は違う!

男の腕の中でもがき、暴れた。今まで自分を傷つけようとした人間達とは違う目を持っているに気付いていたが、それを見ないようにしていた。
恐かった。必死で引っ掻いた。絵描きの手と腕から血が滲む。
絵描きの腕から一瞬力が抜けると黒猫は素早く身を捩じらせ、束縛から開放された。わき目も振らずに走った。石を投げられても冷静でいる自分が、何故こんなにも動揺せねばならないのか。

闇へ。もっと暗い奈落へ。触れ合いなど欲さない。

心臓が高鳴る。
誰もいない所へ行きたかった。孤独を求めて人間から逃げた。

黒猫は絵描きの眼を知っていた。だが、信じられなかった。
黒猫は絵描きの腕の温もりを知らなかった。初めての温もりが恐かった。

自分を追いつめる事で今まで生きてこれた。そうだ。「優しさ」なんて知らなくて良い。忘れるべきだ。

何故、あの眼を覚えていた?

心のどこかで憧れがあったのかもしれない。
記憶の隅に追いやった人間達の顔。その中に優しさを持った者もいた。

だが、裏切られた。全て、ことごとく。

気まぐれの優しさを持つ人間は意外と多かった。

だが、裏切られた。全て、ことごとく。

人間など信用しない。

がむしゃらに走った。
絵描きが今までの人間の優しさと少し異なることにも気付いていた。あの眼だ。あの光だ。今までとは違う、本物の優しさかもしれない。だが、信じられなかった。信じたくなかった。出会いの希望は裏切りの絶望だ。
何度も騙された眼。それとは少し違う眼。何だあれは?初めてだ。生まれて初めての眼だ。

心の底から感情が湧きあがる。あの男は本当の優しさを教えてくれるのではないか?

かき消した。

つまれたゴミ袋を踏み台にして、ブロック塀を越える。浮浪者が寝ていた。絵描きもコイツと同じだ、どうせ。

少し歩いて振り返った。絵描きは追っては来ていない。所詮、その程度なのだ。人間の優しさなど。街中で独りぼっちになっている猫に手を差し伸べ、いい気になりたいだけなのだ。
もう、慣れた。判っていた事なのだ。

前足が重かった。やめろ。忘れろ。人間など・・人間などっ・・。

すっと抱き上げられた。顔を上げると、さっきの絵描きだった。
「見つけたよ」
絵描きはにっこりと笑った。変な男だ。

疲れていた黒猫はその温かい胸の中で静かに眠った。もう、どうでも良かった。


続く。


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