宵の明け

下段−邪を殺す刀。





「・・・」



目を覚まし、上体を起こした。
全身に電撃が走った。見ると、全裸で祇戮刀を抱いている。身体には無数の傷跡。浅い傷ばかりだが、それなりの出血はしているらしく意識が朦朧とする。

日差しが眩しかった。かすかに小鳥の声が聞こえた。
朦朧とした意識がゆっくりと現実へと引き戻されていく。同時に全身の痛みがはっきりと感知できるようになってくる。そして。

悪夢が、頭の中に蘇った。
殆ど反射的に頭を抑え、目を見開いた。強烈な吐き気に襲われ、眼球に鋭い痛みが走る。全身が震えた。息が荒くなった。傷が疼いた。
自分の中に眠るおぞましく汚らわしいもの。強く、烈しく、止まる事を知らないもの。

殺意。

あの殺意は祇戮刀のモノだ。同時に、俺のモノだ。何度も飲み込まれそうになった。飲み込まれれば、その瞬間に殺人鬼になっていたのかもしれない。
だが、耐えた。

俺は・・・勝ったのか?祇戮刀の意思に。

寒気がした。怖かった。わけの解らない恐怖だった。今までに体験した事も無い、想像もつかない恐怖だった。
もう、思い出せないほどの恐怖だった。

余りにも深い。

勝った気はしない。何故、殺戮に走らなかったのかが不思議でたまらなかった。
実際、殺しを楽しんだ事もあったのだ。その瞬間の周泰は祇戮刀の意識そのものだった。
祇戮刀は周泰の心の奥を暴いただけではないのか?
あの意識は全て俺のものではないのか?
己と向かい合い、そして俺は今、ここにいる。それが答えなのだろう。
悪意に飲み込まれず、正常な意識をもってここにいる。

投げ捨てられている鞘を取ろうと立ち上がった。一瞬目の前が真っ白になり、倒れそうになった。
誰かに支えられた。

「ほほ。無理はせん方がええ」

ぼんやりと相手の顔が見える。白い髭を生やした老人だ。

「傷は浅いものばかりじゃな。どれ。儂の秘薬でちょちょいのちょいじゃ」
そう言いながら老人は周泰の全身に何やら塗りこんでいった。薬らしい。

華陀。
恐らく、この老人はあの華陀だろう。最近になってよく見かける医師だ。
だが、それを確認する前に気を失ってしまった。



目が覚めると、既に夕暮れだった。
ばっと起き上がる。傷の事を思い出して身体を見たが、まるで何も無かったかのようだった。
「ありがたい」
独り呟き、祇戮刀を手に取った。一瞬ためらったが手にしても特に異常は無かった。華陀はこの刀には触れなかったようだ。知っていたのかもしれない。

鞘を拾い上げ、静かに収めた。「キンッ」っという音が思いの外すずやかだった。
周泰は自分自身もまた、清清しい気分になっていることに気付いた。祇戮刀が心の中の悪意を吸い取ってしまったのだろうか?それとも華陀の薬のお陰だろうか?
もはや、どうでも良い。とにかく気分が良かった。

着物に腕を通し、いつもの鎧をつけて翔夷の元へと向った。普段から身につける鎧が、今日はいつもより軽く感じた。

夕日の色があまりにも鮮やかで、少し震えた。
恐怖の震えではない。ほっとしている自分に気付き、少し笑った。



小屋が見えた。
せせらぎに足を伸ばしている翔夷の姿も見える。何気なく目が合うと翔夷はパッと立ち上がり、飛び跳ねながら周泰に手を振った。煤で黒くなった顔に真っ白な歯が映える。軽快に小屋へと飛び込んだのを見て、周泰は少し足を速めた。

「じゃんっ!」

入り口に近付くと翔夷が飛び出してきた。
「よく帰ってきたな!ほら。出来てるぜ!」
鞘に収められた刀を手渡し、祇戮刀とひったくると神棚に祀った。背が届かないので軽く跳ねながら乱暴に投げている。
とんでもない試練を与えた刀だったが、翔夷の行動と今朝の出来事との余りの相違が少しおかしかった。

たたたっと周泰に近付き、気持ちのいい笑顔を見せてくれる。
「名付けて、『宵』だ。いい名前だろ?自信作だぜ。ま、こいつは俺の本命の前の・・・前座ってとこだ。もっと凄ぇの打ってやるからよ」

小川に近付き、夕日めがけて刀を抜いた。まるで空気まで切り裂きそうな素晴らしい出来だった。
「良いだろ?」
翔夷は周泰の横で自分の刀を見つめている。

ふっと哀しげな顔になる翔夷。

「あの…あの…ごめん・・な」

翔夷は刀のコトを知っていたのだろう。周泰は殺人鬼になっていたかも知れない。自分自身を殺していたかも知れない。周泰に祇戮刀を渡した事を気に病んでいる。

「後悔しているのか?」
周泰は静かに言った。

「あ・・あの・・」
翔夷は目をきょろきょろとさせながら口篭もる。

「俺は今ここに生きて立っている。何か不服か?」
「幼平・・」

そのとき、小屋から物音がした。明らかに複数の人間が荒らしているようだった。
迂闊だった。何故、気配に気付かなかったのだろう。周泰は不意に背後を取られても即座に反応する自信がある。にも関わらず、誰かがあっさりと小屋の中に忍び込んでいる。
翔夷は素早く小屋へと戻る。

「てめぇら何やってんだ!」

翔夷の怒号が聞こえ、そして、静かになった。周泰はその場でじっとしていた。

ぬっと二人の男が小屋から出てくる。先に出てきた男は目の下にくまを作った太った男である。手には大刀が握られ、軽々と持て余している。
もう一人の男は反対にひょろりと細長い男。身体と同じく細い剣を握っている。卑屈な笑みはいかにも小ずるい感じがした。
二人は周泰を品定めするかのように見、「ふん」と鼻で笑った。

もう一つの影が小屋から出てくる。小屋の扉をくぐるように膝を曲げる。とてつもない巨体の持ち主だった。こんな大男に気付かなかったというのか。

周泰は自分の動揺に笑いを堪えた。愚かしくも純粋な自分を初めて知った。祇戮刀の副作用だろうか。自分の気持ちに素直になれる。そんな感じがした。

巨体は腕に何かを抱えていた。
翔夷だ。片腕で軽々と持ち上げている。片腕で翔夷の体と両腕をきつく締め上げ、身動きできなくしている。
「けっ。クズみたいな刀ばっかりで何もねぇな。てめぇら最悪だぜ」
小太りの男がペッと唾を吐いた。
翔夷が痛みに喘いだ。
「おい、そこのてめぇ。身包み置いてけ」
男が大声を上げる。
翔夷が抜け出そうと必死に身をよじらせる。上手く力が入らず、動くこともままならない状態だった。
「てめえ!聞いてんのかこらぁ!」
大男がわめき、一歩だけ周泰に近付いた。

「おい」
周泰はようやくそれだけ口にした。その低い声は一瞬にして辺りを包み、静けさが舞い降りる。

「俺の女に手を出すな」

大男は目を見開いた。
「はぁ?」
一瞬の間を置いてニタリと口をゆがめる。翔夷を抱えている左腕の力を少し緩め、右手で襟首に手をかける。
「汚ねぇ手で触るんじゃねぇ!」
大声で拒絶する翔夷。そんな声など聞こえないかのように男は翔夷の服を破った。布切れはあっけなく男の手を離れ、パラパラと風に乗ってとんだ。
男たちはニヤリといやらしい笑みを浮かべる。
翔夷は胸をサラシできつく締め上げ、ゆったりとした服を着て自分の体型を隠していた。衣服が剥ぎ取られた今、サラシの上からでも胸のふくらみが見え、その腰つきは明らかに女である。
「へっへへ。こいつぁ思わぬ収穫だぜ。あとでたっぷり可愛がってやるからな」
大男はサラシの上からその膨らみに触れる。
「離せよ!てめえ!!馬鹿やろう!」
「へへ。あのオヤジの娘か。さすがに気が強いぜ」
「なっ」

翔夷は戸惑った。この大男が何故翔夷の父の事を知っているのか。
「てめぇ・・なんで親方の事…」

もう帰らない。

翔夷は「親方」の事をそう言った。
もうこの世には居ない親方…父の事を知っている男。

「この俺様が頼んでるのにあの野郎…へへ。許せねぇよなぁ。『馬鹿に打つ刀は無い』とか抜かしやがってよぉ」
まるで美しい思い出でも語るかのような表情で男は言う。残る二人の男も翔夷の身体を凝視しながらニヤニヤしている。最低な空間だった。

「てめっ!」
「おうよ。殺してやったぜ。命乞いの一つでもすれば生かしてやったのによぉ。そうだな。丁度今のお前見たいな目で俺を睨み付けやがる。むかついたぜ。滅茶苦茶にしてやったよ」

じわりと翔夷の目に涙が浮かんだ。
「お前も滅茶苦茶にしてやるからな。へっへっへ」

翔夷はバッと周泰の方を向き、叫んだ。「幼平!こいつら斬れ!」
周泰はぴくりとも動かなかった。
「なんだぁ?ビビって動けねぇのか。動いたところでこの女が人質になるからな。大人しくしてろや」
3人は声をあげて笑った。然し周泰は微動だにしなかった。
「かまわねぇ!俺ごと斬ってくれ!!幼平、早く!!」
「無駄だ無駄だ。あいつ、ちびってんじゃねぇか?第一、俺様に敵うやつなんていねぇんだよ!」

男が言い終る前に周泰は一言「おい」と言った。
「翔夷。違う」
それまで何処を見ていたのかも判らない周泰の視線が、翔夷のそれとぶつかった。
「言いたい事は言え。素直になれ」
「あぁ!?何言ってんだ、こいつはよ!」
男達はまた声をあげて笑った。

二人には男たちの小汚い笑い声は聞こえなかった。
周泰はじっと翔夷の瞳を見据えた。鋭い眼光は翔夷を烈しく、優しく突き刺した。
「たっ・・」
ぶわっと翔夷の目から涙がこぼれた。
「助けて!」

翔夷が叫ぶと、周泰は一瞬、ニヤリと笑った。

風が吹いた。

翔夷の目に周泰は映っていなかった。

「んあ?どこ行きやがった?」
大男はキョロキョロと首を動かした。周泰は既に男の後ろ側に立ち、残りの二人を静かに睨みつけていた。
「あ・・あぁ・・・兄貴…」
二人の声に、大男はパッと振り向いた。

異変。

大男は今までにない体験をした。
後ろを振り返ったはずだが、それ以上に景色が回転した。
「なんだこりゃ?」
そう言おうとした。
実際には「ぁがごっ」という音がした。
勢いよく回った頭はそのまま地に落ち、残った体からは大量の血を噴出している。
翔夷は何が起こったかわからなかったが、力の抜けた腕から抜け出して素早く離れた。

「てっ・・てめぇ!何しやがった!」
小太りの男が目を見開いてわめく。
「刀を抜き、斬り、鞘に収めただけだ」
何事も無かったかのように周泰はそう答えた。
「ばっ・・なぁ…」
小太りの股間に黒い染みが広がった。
右側で剣を構えているひょろ長い男が一歩前へ出る。
しかし、その一歩が地に付く前に男の片腕が中空に飛んだ。
「あっ」
甲高い声を出し、前のめりに転び、すぐに周泰から遠ざかろうと身を捩じらせる。
前方の小太りは足をガタガタ震わせながら座りこんでしまっている。
ゆっくりと刀を抜き、男の眼前へと突き出して睨みつけた。
「そこのでかいゴミを持って消えろ」
二人は足をもつれさせながら大男の死体に近付く。翔夷はそれらを避けるように小走りで周泰に飛びついた。

「良かった!良かったぁ」
安心したのか、翔夷は更に涙を溢れさせた。暫くすると翔夷は自分の姿を思い出して、すぐに周泰から離れては背を向ける。
「あっ・・あのっ。ごめん・・」
「何を謝る・・」
翔夷は背を向けたまま、うつむき加減で周泰の方をちらりと見やった。
「その・・何で気付いたんだ?その・・俺が女だって・・」
翔夷は顔を赤らめながらもじもじとする。どこからどう見てもそこに居るのは一人の少女だった。

「男に惚れる趣味は無い」

周泰は声の抑揚を変えず、何でもさらりと言う。
「ぇ・・」
「守りたい者が二人居るといったのを忘れたか。孫権様とお前だ」

翔夷は体温が急上昇し、今にも倒れそうなほどにくらくらした。
「ばっ・・ババ馬鹿言ってんじゃねぇよ!何言って・・バカ!」
「迷惑か?」
周泰が近付いてくるのを感じた。
「あの・・だからっ」
すぐ背後まで迫る。
「迷惑なら動くな。そうで無ければこちらを向け」
それ以上何も言わなくなった。静寂は翔夷の心臓の音を引き立て、時を止める。翔夷は完全に時間の感覚を失った。どれだけ待っても心臓は鳴り止まず、周泰も動く気配は無い。

「素直になれ」

先ほどの周泰の言葉を思い出す。

「幼平・・」

翔夷はおずおずと振り返り、視線を上げた。
兜を脱いで佇む周泰とすぐに目があった。
周泰は翔夷の両肩を優しく手で包み、少しかがんで翔夷の顔に近付いた。
翔夷はゆっくりと瞼を閉じた。

二人の心に晴れやかに日が差した。










〜〜〜後書き〜〜〜
はい。設定思いついてから軽く2ヶ月。いけませんね><
最初に思いついたものから全く変わってないというのも何とも・・。
1〜3章、全て勢いよく書けたのは面白かったです。それぞれの間があまりにも長いですが(ぉ
都合の良すぎる展開ですが・・まぁ、それは・・うん。楽しかったって事で(ぇ






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続く?

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