我が魂は朱をあがめ


「クっ・・まずいな」

黄蓋が前線で踏ん張りを利かせていた。兵糧が尽き、士気の上がらない兵たちに黄蓋の鋭い怒号が飛ぶ。黄蓋自身が前へと乗り出し、迫る歩兵を一撃のもとに粉砕していった。
だが、勢いが違う。勝てる戦ではなかった。

華雄軍の将、胡軫は程普が一撃で葬った。その首を袁紹の居る本陣に送り届け、兵糧を請うてからどれ程の日が過ぎただろうか。待てども待てども兵糧は届かず、ついに蓄えは無くなって馬はやせ衰え、兵たちは慕郷の歌を口ずさむ始末だった。
炊煙の上がらぬ孫堅軍に気付いた李粛は華雄に夜襲を献じ、ものの見事に孫堅軍は散り散りである。

黄蓋は犠牲を最小限に抑えながら徐々に後退している。

「こちらの兵は揃いつつあります。黄蓋に加勢して参ります。今のうちに撤退を」
程普が陣を飛び出す。
追おうとした。韓当が腕を掴んでいた。
「それは我らの役目。殿は兵をまとめてお退きくだされ。すぐに追いつきます」
韓当は孫堅を馬に乗せ、無理矢理に戦地から遠のかせようとするが、孫堅は陣営から出ようとしなかった。

そうしている間に程普と黄蓋が戻ってきた。兵たちは戦っていたが、夜襲を受けて浮き足立っているものが多い。
「予想以上ですぞ。すぐにここまで敵兵が迫ってきます」
「分っている。分ってはいるが」

逃げる事もままならない状況だった。敵も味方も判っていないという者も多いようだった。混乱。


「殿、私、地味でしたけどね」
祖茂が口を開いた。
「何だ?こんな時に」
祖茂は戦場で大暴れするような猛将ではなく、地味だった。だが孫堅は祖茂を信頼し、常に側においていた。飄々とした態度とは裏腹に、思慮深く、また、的確な判断をする男だった。

「これでもね、熱い男なんですよ、私」
「祖茂殿・・」
程普は何かに気付いたかのようだった。

祖茂はニヤリと笑みを浮かべる。
「たまにはカッコつけさせて貰いますよ。殿、御免」

祖茂は素早く馬上の孫堅の頭巾を奪い取った。
「祖茂・・??」
祖茂が何をしようとしているのか、孫堅には判らなかった。

「俺の命、無駄にしたらお前らぶん殴ってやるからな。じゃ、さよなら・・だ!」
たたっと軽く駆けていく祖茂。
爽やかな後姿は儚い蝋燭の炎のように揺らめいていた。

うつむいた程普を韓当と黄蓋が覗き込む。
程普は口元を抑えてかぶりを振るばかりだった。

「殿、行きますぞ」
韓当の言葉は孫堅に届かなかった。




孫堅はぼんやりと祖茂の背中を目で追った。

その目がかっと見開かれ、眼球は真っ赤にならんばかりの充血。ワナワナと唇が震えて全身の神経がピンと張り詰めた。


「止めろ・・早く・・祖茂を止めろぉ!」


孫堅は絶叫した。その大喝は一瞬、戦場の時を止めるほどのものだった。自らも祖茂を追おうとしたが、程普の手が孫堅の右手首と手綱をがっしりと掴んだ。

「離せ!命令だ!」
程普は一瞬怯んだが、それでも離そうとしなかった。孫堅が握った手綱は程普の手によってびくとも動かない。
「なりませぬ」
「祖茂殿のご決断です。我らは生き延びねばなりませぬ」
「黄蓋、韓当・・お前達も同じか」
「殿、わしらは生きて天下を掴みますぞ。殿の生きる限り!」
「ならん!ならん!何が天下だ!!部下の一人も守れずに何が天下だ!笑わせるな!」
「殿!」

外の様子が少しおかしい事に気付いた。僅かながらの違和感だ。

「いたぞ!孫堅を見つけたぞ!」
声が聞こえた。
他の声もわあわあと一点に向かって集中していくようだった。
ひときわ大きな声が聞こえた。華雄だ。勝鬨が聞こえたが、すぐにやんだ。

「殿、早くっ、祖茂殿の命を無駄になさるなっ!」
「黄蓋、程普、韓当。これは命令だ。貴様らは死ぬまで俺に付き従い、今日の恥をそそげ。そして俺の命令以外で死ぬことは許さん。よいな」
「はっ」

泣いている場合ではない。悔やんでいる場合ではない。
その夜、虎の巨大な哭声が地を揺るがした。





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